3つのアメの話

今日の夕方、父親の自転車を借りてサイクリングに出かけた。そのとき気づいたおもしろいこと。


ポケットに3つ、口の中に一つアメを入れて出かけた。3つのアメはそれぞれ黒いアメ、赤いアメ、オレンジのアメ。(味から色を連想して、単純に名前をつけた)口の中に入ってるアメは何色のアメか覚えてない。


すこし走っていると口の中のアメが無くなった。普段の私ならさっきまで口の中にあったアメとは別の味のアメを食べたいと思う。そう考えながらポケットからアメを取り出すときは、なぜか運悪く今食べていたアメと同じアメを取り出してしまう。


しかし私はこの時別の考え事をしていたので、今食べていたアメと別の味のアメを食べたいということも、今選択したアメがさっき食べたアメと別の味のアメであるかどうかということも全く考えていなかった。だから2つめのアメを食べたのは確かだが、そのアメがどのアメかということは覚えていない。


そして考え事をしながらすこし走る。


2つめのアメがなくなった。そこで私は3つめのアメを取り出そうとした。そのときになって初めて、今食べていたものと同じ味じゃなくて別の味が良いなと思った。しかし2つめのアメと同じアメが出てくる可能性はないので、ここではあまり意識しなかった。アメを食べ始めて次のように考え始めた。


学校でよく行なった席替えについて考えた。昔の私は大抵好きな女の子の隣に座る席になりたいなぁと考える。(今は隣なんかに座ったら緊張してしまうので、あえて隣に座りたいとは思わない。)そして席替えと呼ばれるような行為の結果は、ほとんどが運によって左右される。ここで席を決める手段がくじ引きかあみだくじかということはあまり関係ない。が、ここではくじ引きを例にとって話を進める。


私は気合いを入れてくじを引く。「どうかあの子の隣に!」とくじを引く。しかしほとんどの場合、その願いは叶わない。この運悪く好きな女の子の隣の席になりたいと考えながらくじを引き、希望(この場合は”熱望”が正しいかも)した席になれなかったという結果と、同じ味のアメは嫌だと考えながら選んだアメが同じ味のアメだったという結果は非常に似ていると思った。


そこでどうしたら別の味のアメを選択できるかということを考えた。結果として「今食べてる味のアメとは別の味のアメがよい」と考えなければ良いと思った。このように考えるということは「次食べるアメも、今食べてるアメと同じ味のアメが良い!」と考えるのとは違う。アメに関しては何も考えなくて良いのである。食べているアメが無くなったので。新しく別のアメを食べようと言うことだけを考えれば良いのである。


そうすれば新しく食べようとするアメが今食べていたアメと一緒なのか、それとも違うアメなのかということを必然的に考える必要がなくなる。席替えの場合も「好きな女の子の隣になりたい!」と考えずにくじを引けば良いのである。何も考えずにくじを引けば、席替え後の席が好きな女の子の隣なのか否か、ということを考えなくてすむ。


大切な事は「何も考えずにくじを引く」と考えてはいけない。「何も考えずにくじを引く」と考えている時点で「何も考えずにくじを引く」と考えている。


これについて、ぜひ皆さんの考えを聞かせてください。